2006年1月16日月曜日

ドブラ逝く (平成18年1月16日)

1月14日,うちの最古参組の一頭,ドブラのロミが老衰による呼吸不全で死亡しました。
1970年6月9日生まれ,35才の大往生でした。
ドブラ!何それ???と思われる方も多いかと思います。
ロミは父親がロバ,母親がグラントシマウマ,つまり異種間の雑種だったのです。
由来はロバはドンキー,シマウマはゼブラなので父親の種名を先頭に合成したものです。
ドンキーの「ド」とゼブラの「ブラ」で「ドブラ」です。

ロミ誕生の少し前の時代,ネコ科動物を主に異種間の雑種が
どこまで出来るのかを検証することがブームになった時代がありました。
レオポンとかライガーなんかが超有名でしたね。
なぜ雑種を作るのが流行ったかというと,
当時の種の定義では「掛け合わせても子供が生まれない」というのがあって
別種のライオンとトラの間で子供が出来たことが衝撃的で
いろんな掛け合わせが行われたようです。
あまりにもいろんな組み合わせで子供が出来たので
種の定義のひとつとして「生まれた子が繁殖能力を持たない」となり,
現在ではそれすらも覆りつつあります。
本州で外来種として問題になっているタイワンザル,
日本古来の在来種ニホンザルとの間に雑種が生まれ,
雑種の個体がさらに繁殖をしています。

さて,ロミ誕生物語です。
当時うちにはグラントシマウマが1ペアーと
「小驢(しょうろ)」と言われる小型のロバの雄が1頭同居していました。
シマウマの腰の高さは約100センチメートル,ロバの腰の高さは約60センチメートルでした。
ウマの仲間の交尾は,「立ったまま」行われます。
ですから腰の高さがあまりにも違うシマウマの雌とロバの雄の間に
仔が生まれることはあり得ないはずでした。

生まれた仔を見て誰もが自分の目を疑ったようです。
「どうして…」シマウマの雄は何をしていたのかはさておいて,
どのように交尾が行われたのかを解明するために入念な現場検証が行われました。
その結果,「放飼場に地面から30センチメートルほど盛り上がったマンホールがあり,
ロバがそのお立ち台に乗り交尾が成立した。」か,
「シマウマの雌がプールの中に入りロバが一段高い水際に立ち交尾が成立した。」
の2説が有力とされました。
しかし,シマウマがプールに入ったのを誰も見たことがなかったので,
マンホール説が最有力となりました。
さらに付け加えるとロバのペニスは体の大きさに比して
とても長いことも大きく影響したと分析されました。

ロミの場合,おそらく繁殖能力はないであろうとされています。
このような個体は一般的に短命で終わるのですが,ロミはとても長生きをしました。
ロミは旭山動物園の最近の激変をどのように観察していたのでしょうか?
もう少し見ていて欲しかった気がします。

2006年1月2日月曜日

「2006」 年頭に

あけましておめでとうございます。
年々,正月の三が日も特別な日ではなくなってきていますね。
うちも2日から営業開始です。
当然,飼育係に正月はないのですが,
昔は大晦日ともなれば町の明かりは消えて元旦の出勤時は人の気配すらなかったものです。
自分は「頑張っているんだな」なんて自己満足に浸っていた頃が懐かしいです。
日本は生活風習や伝統をどこまでなくしてしまうのでしょう?

今年の冬,旭山の冬の風物詩として定着した感のあるペンギンの散歩,
これに合わせて沢山の方が来園されるようになりました。
12月は前の年の同月比でなんと300%にもなりました。
でも,聞かれるのは
「中に人間が入っているみたい,かわいい~」「どうやって馴らしたの?」
「ヒナは行進させないの?」「散歩のご褒美は何?」といったことばかりです。

ペンギンがヨチヨチした生き物なのは陸上に天敵のいない地域で進化した結果です。
陸上にいる生き物に対して警戒心がとても弱いのです。
そして集団で海まで歩き,エサを捕ったらまた歩いて帰ってくる習性があるのです。
ありのままをありのままにさせているだけなのです。
だから散歩なのです。
一切調教や制御はしていないのです。
音楽を鳴らしたり,着ぐるみを着た人が先導をしたりと
意図的に付加価値をつけてパレードやショウに仕立て上げている様子を見ると悲しくなります。
どうして自分たちの価値観の範囲内でしか動物を見せようとしないのでしょう,
見ようとしないのでしょう?
ありのままがいかに美しく尊いのかを感じて欲しいと願います。
新たな価値観を見いだしたり,見方が生まれてきて欲しいと願います。

ヒト以外の生き物は「今以上」を求めません。
ヒトだけは常に「今以上」を求め続けます。
その結果,地球上の原子や分子の総量は変わりませんから
ヒトや自分たちだけのためのものがあふれかえり,ヒトのため以外のものは減り続けています。
そして,ヒトはいらなくなったものを無責任に地球上にばらまいています。
地球がヒトのわがままをこれ以上受け入れられないところまで来ています。
きっと気象異常や動物たちの惨状を伝えるニュースが増えるでしょう。
その時「今がよければいいじゃない,可愛いんだからいいじゃない,
飽きたら次を探せばいいじゃない」。
今の価値観で地球を生き物たちを守れるのでしょうか?
都合が悪くなると誰かが何とかすればいい,そんな程度にしか感じないのではないでしょうか。
動物たちそれぞれの素晴らしさ,かけがえのなさがたくさんの人の心に刻まれること,
それがそれこそが地球を生き物たちを守る原動力になるのだと思います。
知らなければ守れない,何も感じない。
だから動物園は必要なのではないでしょうか。
守るのも滅ぼすのもヒトなのですから。

昨年暮れ「レッサーパンダを飼ってみよう」といった主旨の番組を見てしまいました。
ペットのように手なずけて飼う,あり得ない番組です。
彼らはヒトのための動物ではありません。
サンタの服を着せられたペンギンやアザラシが新聞で紹介されていました。
みなその時だけのウケを狙った確信犯に思えます。

日本人は山に風に木に生き物に神を感じ自然と共に生きてきたはずです。
それはかわいらしさや仲良くではないお互いを認め合う「調和」だったはずです。
科学的ではなかったかもしれませんが,誇れるものだったと思います。
西洋的な合理的,科学的に管理する,支配するといった精神とは違ったものでした。
今の日本は生活がどっぷりと西洋的になり
いつの間にか曖昧な感情だけが残った結果なのでしょうか。 

動物園に限らず,将来に明確な夢を持って,
今がそのための方法であり手段であって欲しいと願います。
今の子供たちの将来のため,未来の地球のために…

旭山の今年のテーマは「感じて 野生」です。信じることを続けるのみです。

2006年1月1日日曜日

野性の本質 (平成18年1月)

また新たな一年が始まりました。
昨年は入園者の増加とは裏腹に,何か晴れ晴れとしない一年でした。
誰のための動物園?何のための動物園?
僕たちの思いとは別の方向に向かっていきそうでとても心配です。
まぁ僕たちが今までのスタンスを守ること,
軸をぶらさないようにすることが一番大切なことなので,
焦らずにやっていこうと決意を新たにしています。
あくまでも旭川,北海道に根を張った動物園であり続けたいと思います。

さて,昨年は複数の動物園で飼育係の人身事故が起きました。
ツキノワグマ,ヒグマ,ホッキョクグマ,ゾウ,どれも痛ましく悲しい事故でした。
当園でも3年前にトラによる事故がありました。
よく聞かれるのが
「飼育している動物が人を襲うなんてどんな飼育をしていたんだろう」
と言った言葉です。

動物園で飼育している動物は野生種ですから
他種の生き物を信用し従順に従うことはありません。
共存していても「仲良く」ではありません。
それは動物園で生まれ育っていてもです。

我々飼育係との基本的な関係はあくまでも檻越しの関係で,
その中で「ルール」ができています。
ですから我々は動物の気持ちをどこまで理解してあげられるかが重要で,
決して完全に制御し,言うことをきかせようとは考えないのです。
飼育管理上の必要があってゾウに「待て」をさせるのと,
ペットのイヌに「待て」をさせるのは全く別次元のことなのです。

例えば檻越しにホッキョクグマと対面します。
近寄りすぎるとクマは檻の隙間からこちらに手を出して威嚇してきます。
でも,僕はクマの側に手を入れることはできません。
どちらが精神的,肉体的に優位なのかは歴然としていますね。
それをふまえた上での関係なのです。
事故は扉を閉め忘れるといった「ルール」が破られた時に起きます。
たとえ20年飼育していた動物でも一回の「ルールを破る」ミスを見逃してはくれません。
何らかの理由で我々がルールを破ったのだから
事故があってもその動物を処分するという発想にはなりません。

だからといって飼育係と動物は常に警戒しあっているのかといえばそうではありません。
お互いを認め合う中で飼育しています。
僕たちは動物たちを敬愛しています。
知れば知るほど凄い命たちです。

そうですね,今年のテーマは「野生を感じて!」でいきましょうか。