2005年11月28日月曜日

伝えることの難しさ (平成17年11月)

あっという間の夏期開園が終わりました。
慣れとは恐ろしい物で,
いつの間にか土曜日曜に来園者が1万人くらいだと
「今日はすいてるね」となっていました。
今年の夏の思い出はお盆期間中のアザラシ前時計塔下での,
行列対応特別班を編制しての仕事でした。
特命を帯びた我々5名はすぐに真っ赤に日焼けし五日目には熱中症で倒れかけ,
お客さんより自分らが救急車のお世話になりかけながら頑張りました。
行列ができてから対応したのでは来園者の不満は爆発します。
そうなる前に迅速に対応することがいかに大切なことかを身をもって学びました。
夏の一番の思い出がこれとはちょっとむなしい気もしないでもないのですが…。

さらに風太君での発言,クモザルの死での様々な反応,
特に僕としてはとても本意とはかけ離れたところでの批判。
「日本一になったからって…」「日本一になるために何でもしていいのか…」
とても残念で悲しかったです。

死を伝える「喪中看板」。
生きるということは必ず死の上に成り立っています。
命が延々と繋がっている陰には死があり,そして今があると思います。
動物園ではあまり表には出ない「死」を隠さずに伝えることで
来園者の心に何かを伝えられるのではないか,
自分にとって都合のよいところだけをつまみ食いするように見るのではなく,
ふと命を感じてもらえればとの思いからはじめました。

「ここの動物園やたら動物が死んでるんだね」
「無理させてるんじゃないの,可哀想」そんな声も聞こえてきます。
僕らの手法の未熟さもあるのでしょうが先を急ぎすぎているのでしょうか?
海路図のない大海原に迷い込んだ気分になることがあります。

今年は来園者が増えたことを喜ぶより,何か晴れない気分で夏期開園が終わりました。
そんな中,僕たちが楽しみにしていることがあります。
カピバラのお腹が大きくなり乳首が目立ってきてもうすぐ出産しそうなのです。
メスはあまり体調がよくなく心配なのですが,
イヤなことを全て癒してくれそうなあの「子カピバラ」,
怒られるかもしれませんが今回は皆さんのためと言うより
僕たちのために元気に生まれてきて欲しいです。