2012年12月31日月曜日

向き合う (平成24年12月)

今年は特に早い一年でした。
そんな中で北海道産動物舎のリニューアルオープンを
無事に迎えることができました。
地元の動物を地元の動物園でしっかりと充実させたい、
という思いが昔からありました。

昔は飼育動物の半数以上が傷病鳥獣として保護されて
野性復帰できない動物たちでした。
その頃から感じていたのは自分たちも含めて
地元の生き物のことを知らないと言うことでした。

例えば明日キングペンギンが来るよ、と言われても
どのように飼育すればいいのか分かっているので
それほど困ることはありません。
でもシギの仲間が保護されたらまず種の同定から始まり、
図鑑的な知識を学び、どのような収容施設にするのかを考えます。

さらに治療の有無にかかわらず
強制的に餌を口に入れて食べさせていたのでは
やがてそのストレスで死んでしまうので、
自分から与えた餌を食べるようにしなければいけません。
実はこれがとても難しいのです。

本に書いてある習性ではなく、
環境の変化への反応や好奇心や警戒心、
食欲を刺激するきっかけなど
実際に向き合わなければ分からないことがとても多いからです。
そのたびに「こいつは凄い!」という思いを抱きました。
フィールドで観察するのとは違い、生き方を知ると
そこにいることがとても凄いことだと感じるようになります。
身近な自然の見え方が変わってきます。

自然を大切にと言いますが
実は何を大切にするのかを感覚で捉えている人は
少ないのではないでしょうか?
豊かな大地北海道と言いますが、
豊かとは何を指しているのでしょうか?
そんなことをふと考えさせられたり、
気づけたりできる施設を造らなければいけないとの思いがありました。
なんだ地元の動物か、なんて思わず足を運んで頂けたらと思います。

今年は何かとマイナス思考になる出来事が多くありましたが、
災い転じて福となす、来年でありたいと思います。

2012年11月30日金曜日

ライオンのライラ (平成24年11月)

もうじゅう館が出来てから、14年が経ちました。
もうじゅう館のオープンの前年、ライオンのライラ、レイラが来園しました。
来園時1才でした。

先代のベルとララがその年の一月に相次いで老衰で死亡したために
動物交換で旭山にやってきました。
ライラもレイラも落ち着きがなく、僕たちの動きに神経質に反応していました。
特にタオルを振り回すと怯えていました。
ライラもレイラも前足の爪がなく、
サーカスのような施設で飼育されていたようでした。

当園では調教という発想はないので、
狭い環境ながらもライオンとしてのプライドを傷つけないよう
細心の注意を払い飼育を始めました。
しっかりと子育てのできるライオンに育って欲しかったからです。
新しい施設でオス、メス、子供たちが野性のようなプライドと呼ばれる
群れを形成して暮らす姿を僕たちも見たかったのです。

2頭とも順調に大人になり、もうじゅう館に引っ越しました。
翌年、待望の赤ちゃんが生まれました。4頭です。
産室でメスのレイラと過ごし足腰もしっかりしてきた頃、
いよいよライラとの同居となりました。
野性でもメスは群れを離れ出産し、
子供が自分で歩けるようになってから群れに戻ってきます。

ライラは子供を受け入れてくれるでしょうか?緊張しました。
ライラを放飼場に出し続いてレイラと子供たちを出しました。
子供たちは始めて見る外の景色に緊張していました。
ライラも不思議なものを見るように戸惑っていました。

しばらくして子供たちは好奇心からライラに近寄り
たてがみにまとわりつき遊び始めました。
ライラはとまどい子供を軽く払いのけました。
子供がギャッと鳴きました。

するとレイラが駆け寄ってライラに思いっきりネコパンチをしたのです。
それ以来ライラは子供たちが近寄ってくると
ちょっと困ったように優しくじゃれるようになりました。
子供がちょっとでもギャッと鳴くとレイラが飛んでくるからです。
肉体的には圧倒的に強いライラが
レイラに対してとても優しい心遣いをしていました。

その後も何回か繁殖し
成長した子供たちは順調に他の動物園にもらわれていきました。
最後にアキラという子のもらい手が決まらずに繁殖を制限するため、
ここ数年はライラとレイラは別居させていました。
今年アキラが釧路市動物園にもらわれていきました。
ライラもレイラも初老になってしまいましたが久しぶりの同居となりました。
繁殖はダメでも最後は2頭で過ごさせてと考えていました。

先日急にライラの元気がなくなりました。
必死の原因究明と治療を行っています。なんと毛球症でした。
大量の毛玉を何度か排便し徐々に元気になりつつあります。
このまま順調に回復して欲しいと祈っています。
 ※現在ライラは順調に回復し展示を再開しております。

2012年10月31日水曜日

本能 (平成24年10月)

だらだらと続いた夏も終わり一気に秋の気配です。

今年の夏はフラミンゴのことがあって色々なことを考えさせられました。
コムケ湖で飛ぶフラミンゴの姿から
「自由に飛べて幸せなのだから捕まえなくてもいいじゃない」
一見そうなのですが、
逆に言うと動物園で飼育されている方が幸せではない、
と言うことになります。

動物園は、人間が造った場所に動物を閉じこめています。
動物園の存在の是非や飼育動物が幸せかどうかは
人によりさまざまな意見がありここでは触れませんが、
少なくとも命を預かっている立場として、
その動物らしく一生を送らせるための努力をしなければいけないし、
来園者には珍しいとか芸をする姿にではなく、
その動物のありのままの姿に感動をしてもらわなければいけないのだと考えて、
既存の価値感にとらわれずにさまざまな努力をしてきました。
今までもこれからもこのスタンスは変わりません。

飼育動物は、多くの能力を使わないあるいは使えない状態で過ごしています。
秘められた能力をいかに解放してやれるのか?
新たな施設を考える時のベースです。

フラミンゴに関してですが、集団性がとても強く、
一羽で隔離することですらショックを起こし命を落としかねない
とてもシャイで神経質な鳥だと認識していました。
脱走したフラミンゴが北海道という環境で
単独で逞しく生きていけるとは考えてもいませんでした。

鳥類は哺乳類に比べると学習ではなく
遺伝的に引き継がれる能力の比率が高い種が多いのですが
(例えばカッコウは一度も親の姿を見ることもなく
他種の鳥に育てられ巣立つのですが、カッコウになります)、
飛べたことで、
眠っていた本能的な能力が一気に働きだした結果なのだろうと思います。

まるで別の種の鳥になったかのようです。
特に警戒する能力の高さには驚かされます。
コムケ湖でどの生き物が危険なのかを知るはずがないのに
陸地には着陸しない、
アオサギの動きに連動するなど
見事なまでコムケ湖の生態系の中で生きる術を身につけています。

フラミンゴを飼育すること、ミンクを警戒して夜間は建物に収容していますが
繁殖のためには終日放飼場で飼育できるようにしなければ、
程度の課題意識でした。
フラミンゴはこんな鳥なんだとどこかで決めつけていました。

ただの美しいシャイな鳥としてではなく
もっと本質的な次元で飼育、展示方法を見直さなければいけないのだと
痛切に感じています。

2012年9月30日日曜日

フラミンゴ脱走の経過 (平成24年9月)

7月18日、旭山のフラミンゴが脱走しました。
旭川近郊の止水域にいると考え捜索をしましたが発見できず、
目撃情報もなく生存の可能性が低くなったと考えていましたが、
フラミンゴは一週間後に小樽市の銭函で発見されました。
海岸の埋め立て地にできた小さなため池でした。

菜食行動、排糞は認められましたが、
衰弱を予想し一刻も早い捕獲を目指し
発見の翌日の夜間捕獲を試みました。
衰弱していれば追いかけることで飛翔力が落ち、
捕獲できるのではないかと考えました。
捕獲作戦を朝まで続けましたが衰弱どころか、
フラミンゴは銭函を放棄し
その日の午後に紋別市で発見の報が入りました。

紋別市で落ち着いたのがコムケ湖で、
フラミンゴが生活できる条件を満たしていましたが、
アオサギなど鳥類も捕食する、
オジロワシやキタキツネが暮らしています。
早期捕獲を最優先として、群れる習性を利用し、
旭山で一緒に暮らしていた仲間のフラミンゴを連れて行く方法で
捕獲作戦を2回行いました。

湖では行動を共にしているアオサギは、
夜になると大半が森に帰ります。
銭函での観察でフラミンゴは
夜間でも活動をしていることが分かっていたので、
夜間に逃げたフラミンゴが寄ってくるのではないかと考え、
夜間も仲間をおりに入れておきました。

1回目は、仲間に近づいたフラミンゴを
水中に仕掛けた網に絡めて捕獲する作戦でした。
仲間のフラミンゴの檻は岸に近い浅瀬の水中に置きました。
フラミンゴが網に絡まった場合、
転倒しておぼれてしまう危険が高いため、
すぐに駆けつけられるように岸に近い場所を選びました。
夜間は仲間の安全確保のため、観察と、
2時間おきの見回りを行いました。

その結果、キタキツネやミンクが近寄ること、
近寄った痕跡は認められませんでした。
捕獲作戦自体は、仲間には近づくのですが、
仕掛けた網の存在に気づいたと思われる行動を取り
捕獲できませんでした。

2回目は、遠くからリモコンで発射できる網を仕掛けました。
フラミンゴは仲間と鳴き交わしはするのですが
近寄ることはありませんでした。
仲間の出現と同時にたくさんの人間が現れるため、
フラミンゴの警戒心が高まっていることが懸念されました。
夜間は報道関係者に現場を離れてもらい、観察・見回りを行いました。
午後10時半までは異常はなく、午前0時の見回り時に、
一羽の死体と一羽の翼の一部を発見する事態となってしまいました。
多くの方の心を痛める結果となってしまったこと深くお詫びいたします。

翌日も捕獲作戦は継続しましたが、
紋別市を始め多くの方々の協力で捕獲を試みることができたのですが、
結果を出すことができませんでした。

生き物を飼育する旭山動物園は、飼育している生き物は
最後まで飼育しなければいけないと考えています。
外来種として問題となっているアライグマも、
在来種との交雑が問題となっている外国産クワガタムシも、
さらには毎年多くのイヌやネコが安楽死されている現状も
元々は飼育放棄が原因です。

旭山動物園としては、飼育下に戻す可能性のある限り、
捕獲に向け努力を継続していきたいと考えています。
 

※8月下旬からの動き
脱走したフラミンゴは、
飛べたことで本来持っている本能や能力が
働く状態になっていると思われます。
つまり完全な野鳥だと考え捕獲方法を検討しています。
前述までの捕獲作戦は飼育下にいた鳥との前提で考えていました。

コムケでの捕獲方法として、他の野鳥の混獲をしない、
コムケ湖の野鳥に極力影響を与えない、
フラミンゴがコムケ湖を放棄してしまうような方法は
とらないを前提としています。
フラミンゴをエサなどを使いある一定の場所に寄せる方法の検討、
こちらから近づく方法の検討を行いながら、
夜間にコムケ湖に行き近づく方法の実験や、
飼育下のフラミンゴでの給餌の実験を繰り返しています。
現在のコムケ湖は珊瑚草が美しい季節を迎え
多くの観光客が訪れています。
観光客や地元の方への影響も考慮しなければいけません。


※今後のフラミンゴ
捕獲できなかった場合、フラミンゴは本州ならば
エサが確保できれば冬を越すことができますが、
北海道のコムケ湖で冬を越すことはできないと考えられます。

フラミンゴは身を守るための行動を決める指標として
アオサギと行動を共にしていますが、
アオサギは10月中旬頃から南下を始めると考えられ、
アオサギと共に南に渡る可能性があります。
しかし南下する過程でコムケ湖のような
生活のための条件がそろった環境は多くはありません。

プランクトンなどエサが食べられる状態が続く限り
アオサギとは行動を共にせずコムケ湖にいる可能性があります。
この場合寒さや雪により衰弱し
移動する体力すら残されない状態になることが考えられます。

コムケ湖には、アオサギやカモ類を捕食するオジロワシが生息しています。
捕食される危険は常にあります。

寒さ、プランクトンの減少など何らかの理由で移動する可能性があります。
いずれにせよ南下しようとすると考えられますが、
どこかフラミンゴを飼育している場所に舞い降りる可能性があります。
フラミンゴは個人でも愛玩鳥として飼育できるため動物園とは限りません。


※フラミンゴが飛べた理由
動物園などで飼育している鳥類をオープンな形式で展示する場合、
飛べないようにしなければいけません。
その方法には手術より物理的に飛べなくする方法、
生え替わる風切り羽根を切る仮切羽という方法、
後は特殊な飼育形態ですが鷹匠の技術を応用し
エサを使い飛んでも戻ってくるようにする方法などがあります。

物理的な方法には翼の大きな風切り羽根が生えている
ヒトで言う指を切断する断翼術と
翼(指)を伸ばせないように腱を切断してしまう断腱術があります。

仮切羽は(フラミンゴの場合風切り羽根は毎年生え替わるのですが)
片側の風切羽根を短く切り、
左右のバランスを取れなくすることで飛べなくする方法です。
ある程度は羽ばたくことでバランスが取れるので交尾行動は可能なため
旭山動物園ではこの方法を採用しています
(フラミンゴの場合断翼、断腱は全くバランスが取れなくなるため
交尾行動が不可能となる)。

旭山動物園で飼育している鳥類では、
導入当初からモモイロペリカンとフラミンゴの一部に
断翼されていた個体がいます。
さらに「ととりの村」ができるまでの水禽舎で
飼育されていたハクチョウやガンの中には
当園で断腱処置をした個体がいます。

フラミンゴに関してですが、冬期間は室内飼育ですから、
夏期開園が始まる前に全羽、仮切羽をします。
この時に羽根が伸び始めている個体、
羽根が生え替わる寸前の個体もいるので、
以降は毎日の放飼、収容作業の中で風切り羽根が伸びた個体を発見し、
その都度切羽する方法をとってきました。

あの個体に関しては、
群れと共に移動する最中も羽ばたく行動がほとんど見られなかったため
風切り羽根が生えそろった状態になっていました。

自分の意志ではなく何らかの理由で羽ばたいて体が浮き、
外周柵の外に出てしまい仲間のところに戻れない状態で発見されました。
この時点では飛んで戻るという発想はフラミンゴにはなかったと思われます。
職員が駆けつけ追いつめた結果、逃げようと羽ばたきながら走ったことで、
結果として飛べてしまい逃走となってしまいました。

現在は日常の観察に加え、
月に一度全羽のチェックを行う体制を取っています。

2012年7月31日火曜日

出会いと駆け引き (平成24年7月)

さて早くも一年の折り返し点を過ぎました。
北海道産施設の着工、大型草食獣館(仮称)の着工、中央のトイレ、
ボルネオにレスキューセンターの着工と続きます。
今年の夏は節電、最悪計画停電といわれていて
その対応も考えておきながらですが、動物園的には暑い夏になりそうです。

今年に入り例年になく多くの動物が出ていったり入ってきたりしています。
ライオン、シロテテナガザルなどの旅立ち、
ユキヒョウ、レッサーパンダ、シロテテナガザルなどを迎え入れています。
今後も予定が複数あります。
動物園の場合、自分で新たな相手を見つけたり
新たな住みかを捜すことはできませんから、
人間がコーディネートしてあげることになります。
次の代を育める可能性を探り最大限に努力するのが
命を預かる我々の使命でもあります。

新たな場所では新たな出会いが待っていることになります。
先日来たシロテテナガザルのメスは、
両親から離れて始めてのオスとの出会いでした。
環境にもすぐに馴染み、同居を開始しました。
お互いにちゃんと挨拶も交わし、
まだ若いメスもリラックスしているようでした。

そろそろ外の放飼場に出そうかと言っていた朝、
太股に怪我をしオスの姿を目で追い怯えて小さくなっていました。
おそらくエサを食べている時に、本来オスが食べるものに
ふと手を出してしまったことが原因ではないかと思われました。
怪我自体は見た目は大げさに見えますがとても浅いものだったので、
オスにしたらコラダメッ!程度だったのでしょう。
ただメスにとっては大きなショックだったことは想像に難くありません。
お客さんから「怯えきってかわいそう、なんで一緒にしておくの」
と言われたりします。

でもここで分けてしまっては、
自分たちで問題を解決するきっかけを奪ってしまいます。
お互いが性格を分かり合い、
ペアになっていく過程なのだと考えています。
勿論任せっぱなしではなく、エサの与え方に工夫をしたり、
お互いが前向きになれるように
環境を整えてあげることが自分たちの重要な仕事になります。

昔は猛獣類などのペアリングでは、精神安定剤などをあらかじめ投与し、
ごまかしながら同居を開始したりしました。
だんだんと投薬量を減らし同居できるように持っていくのですが、
一緒には居れてもペアにはなれない場合が大半でした。

その動物なりにお互いがコミュニケーションを取り合い、
関係を築いていくことが(人間から見ると荒々しく見えることもありますが)
その動物らしい生き方に繋がっていきます。

2012年6月30日土曜日

動物園とは (平成24年6月)

今年は北海道でも節電が叫ばれる夏になりそうです。
節電はもとより、暮らし方そのものを考えなければいけないのでしょうね。
原発を補う電力はあるとも言いますが、
ほとんどが化石燃料を使った発電で、
Co2削減の議論はどこに行ってしまったのだろうと思うくらい
話題から消えていますね。
発電ロス、送電ロスを考えると
現時点で電気はエコではなくなってしまいました。
今だからこそ今ではなく10年後20年後を見据えた議論をして欲しいし、
自分たちも真剣に考えなければいけないでしょう。

先月、日本動物園水族館協会の加盟園館長が集まっての
総会と協議会が旭川で行われ、将来の動物園水族館のあるべき姿について
シンポジウムを行いました。

その中で「なつかしい未来」という言葉が出てきました。
自分がこどもの頃天気予報は明日の天気しか予報していなくて、
しかも当てになりませんでした。
一週間後の遠足が晴れますようにと、てるてる坊主を窓に下げ、
遠足の日まで毎日朝起きるとドキドキしながら空を見ました。
昔の方が楽しかったなとふと思いました。

同じ動物でも、剥製を展示している博物館は、理論や科学、技術論など
理屈で対象を理解する場です。
動物園は生きた命を見てもらっています。
生きていることは理屈ではありません。
どんなに科学的に理解しても、その日何歩移動するか、
何時何分に糞をするかは分かりません。
科学や技術がどんなに進歩しても生きることの幸せは、
その中からは見えてこないでしょう。
動物園の可能性のすべては
ヒトも含めて生き物が集まる場所であることに集約される気がしました。

総会の前日から3日間建物の中で缶詰になっていました。
風も気温も太陽の光も感じることはなく夕日も見ることはありませんでした。
総会が終わり、昼に動物園に戻ったのですが、
動物たちの匂いや気配をとてもなつかしく感じホッとしました。
動物園最高!そんな感じでした。
当たり前のことがこんなに愛おしく感じたのは久しぶりでした。
動物の話が出てこない手紙になってしまいました。

2012年5月31日木曜日

心機一転 (平成24年5月)

新しい年度になりました。
この冬はとにかく雪との闘いでしたね。
ペンギンの散歩も雪を集める苦労もせず、
いつ止めるかの協議もせず
冬期閉園日までできてしまいました。
いいことではあるのですが、
それにしても雪解けが遅いのには閉口します。
記録的に遅いのではないでしょうか。
春の開園準備が雪割り作業で終わってしまうのではないか
という危機感が現実味を持っています。

4月に入ってとても嬉しいことがありました。
ゴマフアザラシのカムイが出産しちゃんと子育てができたのです。
自然保育も7年ぶりで二重の喜びでした。

カムイは平成12年釧路市動物園に
まだ白いこどもで保護され旭山に来ました。
その年はぺんぎん館がオープンする年で、
カムイはペンギンと一緒に飼育する予定でした。
カムイだけ他のアザラシとは一緒にせず、
人の気配のない小さなプールしかない越冬舎で飼育をし、
ぺんぎん館オープンの数日前にぺんぎん館に引っ越しをしました。
人に対する警戒心が強くとても神経質な個体になってしまいました。
飼育係の手をかじってしまったり、
ペンギンを追い回したりと問題が起きました。
すべてをストレスに感じる個体にしてしまったことを反省して、
アザラシ舎に移しました。

カムイは平成19年、21年に出産をしましたが、
最初の子は出産当日に溺死、2回目は育児放棄でした。
母親とはぐれた保護個体であること、ぺんぎん館で無理を強いたこと、
どこかで現在の生活環境を信じることができないのではないか、
そんなことを感じていました。

今回の出産は夜中だったのですが、
翌朝やはり育児をする気配がありませんでした。
母親になれたのは、担当者の粘りでした。
子の元気はあったのですぐに人工保育を決断せず、
母親に任せる努力をしたのです。
実はこの7年間に担当者は4頭の人工保育を成功させてきました。
アザラシの母親替わりをした経験が、どこまで子の体力が持つのか、
どのタイミングで乳を飲もうと鳴くのか、
母親の母性が目覚める可能性があるのか、
分かっていたから粘れたのです。

子をカムイのそばに移動し、
子がオッパイを飲みたくて乳首を探す行動と、
カムイがふと無防備になるタイミングが重なり、
乳を吸われたことで母性が目覚めたのです。
母と子の関係が築けたのです。

今にして思えば良くも悪くも一大ブームになる導火線だった
ぺんぎん館ができ、ひたすら走り続けてきましたが、
自分の中ではとても大切なものを置き忘れた後悔があり、
気がかりだったのがカムイでした。
カムイが母親になれたことで
自分の中でも一つの区切りになった気がしています。

心機一転の新年度です。

2012年4月30日月曜日

距離感 (平成24年4月)

寒さの中にも、天気の日は日差しが強くなり
春を感じるこの頃です。
春は終りと始まり、出会いと別れ、
さまざまな思いが錯綜する季節ですが、
すべて前向きに捉え、すべてを始まりに変える
力のある季節でもありますね。

動物園にも3月に入りシマフクロウ、レッサーパンダ、
ユキヒョウが新たに来園しました。
新たな環境での生活が始まります。

レッサーパンダは、人なつっこいというわけではなくて
警戒心がとても弱い動物で
新たな環境や飼育係との関係も
トラブルなく築ける個体が多い種です。

新入りのメス栃(とち)は新たな環境への適応という点では
来園して輸送箱から出た瞬間から、
新たな環境の探索を始め、自分たち(飼育係)はもとより
隣の部屋の向かえ入れる側のレッサーパンダにも目もくれることなく
我が物顔で新居を闊歩ていました。

次の日に新たなペアーを組むノノと同居させたのですが、
栃の方が我が物顔でノノの方が警戒していました。
さらに翌日に放飼場に出したのですが、
吊り橋も躊躇することなく渡りました。
そして6日目吊り橋を渡った先の木の側の囲いを乗り越え
園路を歩いていました。
積雪が原因だったので園路に出る原因は除去できたのですが、
目撃談によると、来園者が周りを取り囲む中
平然と園路を歩いていたようです。

ペットと違い野生種の動物は
他種との物理的な距離感、心理的な距離感を
絶妙なバランスで持っています。
他種を信頼することはないけど存在は認める、
食べる食べられる関係にある種が
空間を共有できる素晴らしい能力です。

旭山はその距離感を展示手法にも
日常の飼育にも取り入れて大切にしているのですが、
栃の距離感には戸惑わされます。
エサを持って寝室に入った時も
初対面なのに足にしがみつきよじ登ってきました。
エサの与え方種類が違うのにすぐに食べました。

飼育環境に関しては、
その動物が持つ能力を発揮できることが心理的に優位に働き
伸び伸びと過ごせ、見られているのではなく
見ている側の立場になれると考えているのですが、
裏を返すと人のいる側の環境は
動物が不安あるいは劣位になることを意味します。

もし優位、劣位さえ感じないのだとしたら
どのような行動に出るのか予測できません。
栃の生まれ育った環境の中での距離感は
旭山が持つ距離感と大分違います。
家ネコでもこうも無防備ではないだろうと思われるくらい、
距離感がゼロに近いのです。

さてこれからどうなるやら…
栃のあまりに近い距離感に一番悩まされるのは飼育担当者です。
胃潰瘍にならなければいいけどと心配になったりもしますが、
栃が元気ならばそれも仕方ないか、なんて思ったりもします。

後日談 この原稿は3月に書いたものです。
栃はノノとの交尾もし、
放飼場の外の世界への興味も無くなったようです。
今ではすっかり旭山の一員となりました。
レッサーパンダの栃(トチ)(ゲン画伯)

2012年3月31日土曜日

営み (平成24年3月)

今年は寒さもさることながら、積雪が多いですよね?
降雪量と言うことではなく集中的にドガッときて
どんどん積もるからなのでしょうか?
ふと見上げると最近整備したもうきん舎、
たんちょう舎の天井の網に想定外の雪が積もり
冷や汗もんのこの頃です。
自然の力には本当に脱帽です。

それでもキングペンギンの換羽も始まり、
春の足音が聞こえてきます。
空振り続きのレッサーパンダ、
3頭の子もたくましく成長した
シンリンオオカミのケンとマースにも恋の季節が訪れました。
ホッキョクグマはどうなるでしょう?
この号がでる頃にはシマフクロウ、ユキヒョウ
(※まだ来園していません。近々来園予定です)
新たに仲間入りしているかも知れません。

冬が繁殖期と言えばエゾシカ、
長らく揺るぎない地位を確保していた高齢の治夫が
その地位をまだ3才のマカロニに譲り渡しました。
エゾシカは秋になると立派な角を持ちますが、
その目的はオス同士の闘いのためです。
強いオスがメスを確保できるのです。

治夫は18才、いつ死んでも大往生という年齢です。
角が変形していわゆる4尖(せん)角ではなくなりました。
角をつき合わせた時にとても不利な形になってしまいました。
対してマカロニは3才にして
とても立派な体格4尖(せん)角になりました。
精神的にはまだ大人ではないのですが、
治夫との軽い角の突き合わせから
アレッ勝てるかもと感じたのかも知れません。

飼育下ではオスを複数頭飼育する場合は角を切ってしまい、
角による刺傷を防止することがあります。
当園でも前の放飼場では事故が起こるため
角の先端にゴムホースを着けたり、
切ってしまったりと苦労しました。
今の施設ではそのような心配は今のところ必要ありません。
狭いながらも立体的な構造なので、
お互いに姿が見えなくなる場所があり、
優位な個体が劣位の個体をとことん追い回すことがありません。
治夫もちゃんと居場所があってメスがそばにいたりもします。
ただマカロニは血気盛んで
飼育係にもスキがあれば挑んでくるようになりました。
とても危険です。
しっかりと分をわきまえさせないといけない時が来たのだなと思います。

一見何の変化もないように見える動物たちにも
さまざまな営みが繰り広げられています。
そんな変化をしっかりと感じ受け止めながら
毎日を過ごしていきたいと感じます。
マカロニ(左)と治夫(右)(ゲン画伯)

2012年2月29日水曜日

ゴンありがとう (平成24年2月)

今年は雪と寒さとの闘いの日々が続きますね。
高速道路もJRも当たり前に動いている日の方が珍しいくらいです。
このままでは札幌圏と旭川圏は
雪の壁で分断されてしまうのではないかと心配になりますね。
動物園でも団体バスが閉園ギリギリに入園してきて、
せめてペンギンの散歩だけでも見たい!
と言うことが間々あります。
まぁ旭川も札幌圏に頼らずに
頑張りなさいと言う暗示なのかも知れません…。

積雪が一メートルを超える期間が長く続くと
エゾシカの子は命を落とすと言われていますが、
山の中で必死に生きているエゾシカのことを
ふと想像する時があります。
複雑な思いになりますね。

昨年の暮れ27日にカバのゴンが急死しました。
旭山動物園オープンの昭和42年7月から
ずっと旭山動物園を見続けていました。
変な話ですが人間で開園からずっと
旭山に関わり続けている人はいません。
ゴンの目にはどのような景色が見えていたのでしょう?
残されたザブコとの間に7頭の子が成育しました。
自分が旭山に来てからは2頭の子を他園に送り出しました。

カバは繁殖力が強くオスとメスを同居させておくと
次から次に子供ができてしまうため
通常は別居飼育をし、
もらい手などの目途をつけて計画的に繁殖させるのが一般的です。
旭山の施設は成獣1頭を収容するのがやっとの寝室が
2つしかないので、跡継ぎを残すこともできませんでした。

新しい施設では3頭までは飼育できるようにしなければと
設計を進めています。
僕が就職した時に当時2才の子供のカバがザブコと同居していました。
とてもやんちゃで冬でもラッセル車のように
鼻から白い息を吹き上げながら雪中を転げ回っていました。

でもなぜかその子カバには名前がありませんでした。
そう望まれた子ではなかったのです。
繁殖制限をしていたはずなのにできちゃったのでした。
すぐにでももらい手を探してと決まっていたから
名前は付けずにいたらしいのですが、
結局7才まで母親と同居でした。
大きくなると母親の負担が大きくザブコはやつれてしまいました。
当時は水中でしか交尾は成立しないが常識で、
プールに水のない冬,寝室の扉の修理のために
一日だけ同居させました。
なんとたった一日、厳冬の雪の中愛は実を結んでしまったのでした。

日本で飼育しているカバの中で
確実に3本指に入る大きさと言われたゴン、
愛は常識をも覆すことを証明したゴン、
晩年はザブコにウザがられ同居できなかったゴン、
でも一日に数回はとなりの寝室のザブコと
ブブブブと挨拶は欠かさなかったゴン、
27日の夜ブブブブと鳴き続けていたザブコ。
たくさんの子供たち今は大人になったたくさんの人の心の中で
ゴンは今も生き続けているはずです。
ゴントサブコ(ゲン画伯)

2012年1月31日火曜日

今年の思い (平成24年1月)

新しい年を迎えました。
今シーズンは久しぶりに雪と寒さが早くやってきました。
雪かきでうんざりな人も多いでしょうが、
北海道らしい冬が久しぶりに戻ってきた気もします。
この手紙が届く頃、
産室の中のホッキョクグマは新しい命を育んでいるでしょうか?
老朽化した開園からある総合動物舎の
建て替えの予算の目途はついているでしょうか?
前回の手紙に添付した無料招待券は
たくさん利用されているでしょうか?…

今年は、たくさんの方から支援をいただいている
ボルネオへの恩返しプロジェクトを
現地で具体化すべく、作業を急ピッチで進めています。
危機的な状況にあるボルネオゾウの救護施設の第一弾を
ボルネオ島のサバ州にある保護区(LOT8)に建築する予定です。

外国で施設を建築することは、
想像以上にさまざまな困難が伴います。
設計図面を渡して、見積書を取って、
といった日本のやり方はまったく通用しません。
日本で始めて、世界で始めての施設を具体化してきた旭山ですが、
さらにハードルは高いと感じています。
一つ一つ障壁を乗り越えて計画を練っています。

第一弾は予算の制約もありますが、
とにかく具体化すること、を目標に
がむしゃらにいくしかありません。
昨年に送ったボルネオゾウ救助用の移動檻は、
大活躍をしていて、現在アブラヤシの畑に現れたボルネオゾウを捕獲し
ジャングルに返すために輸送できる檻はこの檻一つだけです。

人と野生動物の共存のためにできること、
一刻も早く具体化し続けなければいけません。
アブラヤシから採れるパーム油の需要は年々高まる一方です。
地球規模での人口の増加は、
必然的に植物油脂の必要量の増加につながり、
その増加分を満たす主役はパーム油だと言われています。
つまりジャングルを切り開きアブラヤシの畑の拡大が続くわけです。
野生動物たちの豊かさが人のためだけの豊かさに化け続けるのです。

現実は厳しいのですが、熱帯雨林は地球の命の根元です。
新たな種の誕生、意識することすらない空気中の酸素…
その根元のあらゆる命を絶ってしまうことは
地球そのものが息絶えることを意味するように思えます。 

まずは、自分たちが奪い続けていることで
日常の豊かさや便利さが成り立っていることに気づくこと、
救護センターはそんな願いを込めて建設します。
今年中に具体化すること!これが今年の自分に課した第一優先の夢です。
ゾウとヒト(ゲン画伯)