2007年1月8日月曜日

新年の独り言(平成19年1月8日)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

2日から開園したのですが,来園される方がとても多くて,
ご挨拶を書く時間がとれず,遅い「あけおめ」になってしまいました。
昨年から急速に,社会のあらゆる分野と言っても過言ではないくらい平行して
何かがおかしくなりつつあること,歯車が狂いはじめていること,
社会生活する上での共通の価値観がなくなりつつあること,
すべての帳尻が合わなくなりつつあること等々,
少なくともいい方向には進んでいないことを実感することが多くなったのではないでしょうか。
私たちはどこに向かっていくのだろう?不安の年明けでした。
 
昨年の末に仕事で沖縄に行きました。
移動の途中ひめゆり平和祈念資料館にも行ったのですが,
祈念館は衝撃そのもので,悲惨な消耗戦,玉砕戦のなか
「それでも生きたい…」の無念が伝わってきました。
二度と繰り返してはならないことだと思いました。

しかしどうでしょう。
平和が長く続く日本で現在起きていること,年間の自殺者が3万名を超え,
いじめや殺人も日常のことのようになってきました。
戦争のない平和な時代でも荒んだ悲惨な出来事が日々起きています。
平和が「生きていること」の実感の希薄さを蔓延させるのだとしたら,
時代は戦争と平和を繰り返すしかないのでしょうか?

新年を迎えて,星野道夫さんの写真展を強引に時間を作って見てきました。
星野さんは,アラスカで自然を感じ自然の輪の中で生きる人々の生き方に共感し,
強いあこがれを抱き,その一方で現代人として生きている自分と葛藤していたように思います。
そして自分が生きる現代社会の将来に,人類の将来に,地球の将来に
強い不安を感じていたのではないでしょうか。

自然はたくさんの命があふれていながら,何も足さずに引かずに循環しています。
命が永遠にリサイクルされて,その時々でバランスを取っています。
僕たちの体を構成する原子や分子だって太古の昔から数え切れない程の命の中で
代々受け継がれて,たまたま今自分の体を構成しているだけです。
 
僕は星野さんが愛したアラスカとは対極の動物園という人間のエゴから作り出された場所で,
動物を見ています。
でも1時間くらい,ある動物を見続けていると僕らとは違う時間の流れがあることを感じます。
それぞれ種でみな違うリズムがあります。
それはきっとそれぞれの動物が生息している環境,自然のリズムです。
そして,その時間の流れの中に身を置くことがとても居心地がよく,
かけがえのないものに思えます。

僕たちヒトは自然の循環の中で生きる生き方を捨て,これからも戻ることはないでしょう。
むしろ加速していくのでしょう。
人類はもはや他のすべての生き物とは別の生き物です。
でも地球上で生きているのです。
だからこそ自然の尊さやかけがえのなさを社会の共通の価値観として
しっかりと持たなければならないのではないでしょうか。
地球と人類の共存のカギはここにあるのだと思えます。

ホッキョクグマとアザラシ(ゲンちゃん画伯)