2005年8月29日月曜日

「かわいい」分類 (平成17年8月)

これから夏本番ですね。
8月オープンのくもざる・かぴばら館の建築,
来年に向けてのチンパンジーの森の設計の大詰めを迎えています。

さて,皆さんは動物園であるいはテレビで動物たちをどんな視点で見ているのでしょうか?
動物たちのどんなところに興味があったり感情が動いたりするのでしょうか?
僕は動物番組や新聞などを見ていて
動物の分類には「かわいらしさ」を基準にした分類基準があるような気がしています。
僕の中では動物の命には生物学的なたとえば食肉目といった分類ではなく
別の分類基準があります。
それはヒトが長い年月をかけて作り出した「ペット・家畜種」と「野生種」という分類です。

僕たちヒトはヒトの都合だけでルールや価値基準を決めて,
その基準に合わない物は排除して生活圏を広げてきました。
動物に対しても同じです。
自分たちにとって都合のいい動物を作り出してきました。
ですから動物を見る時に「かわいい」や「擬人的な表情や姿」はとても魅力的です。
私たちは動物を見る時にペット種も野生種もこの価値基準で見ているような気がします。

野生動物にはそれぞれの環境の中でのルールや価値基準があります。
食べる側,食べられる側が共存しているのです。
凄いことです。
ヒトとは全く異なるルールで生きているのですから
野生の動物はある意味私たちヒトと「対等な命」といえると思います。
フクロウを見て「かわいい」でも野鳥にとっては「恐ろしい・危険」,
傷ついた野鳥のヒナを見つけて「かわいそう・助けてあげたい」
でもタカにとっては「その日を生きるための大切な食料」です。
「かわいらしさ」から野生動物の本質は見えてきません。

アライグマは「かわいい」分類でヒトのルールに持ち込んで,
でも「かわいくなかった」から野山に捨てられて外来種として問題になっています。
キタキツネは「かわいい」から餌付けをしてヒトの生活圏に招いておいて,
エキノコックス症の原因であるのが分かってからは,
それまでとはうってかわってヒトの生活圏から執拗に駆除しています。
野生動物との共存は「かわいい」分類からは見えてきません。

「動物を愛する」方法は「かわいがる」だけではありません。
彼らのことをよく知る,干渉をしない,そっと見守るといった愛し方もあるはずです。
ヒトが作り出したペット種の「かわいい」分類の延長線上に
「野生種」は存在していないのです。