2005年5月31日火曜日

「動物園」に対する思い

昔,旭山動物園はコンクリートと鉄柵に囲まれた狭い檻で動物を展示していました。

昭和42年にできた施設でそのころは動物の姿・形が見られるだけで価値のあった時代です。
しかし平成になっても施設はそのままでした。

本州の大きな動物園は生息環境を再現した生態的な展示が登場し,
コアラ,ラッコなどのブームが起きていました。
こんな日本最北の地方都市の動物園でも,「コアラいないの?」,
アザラシを見て「ただのアザラシだ,ラッコいないんだ」,
「ここじゃ無理だよね」と来園者が口をそろえるかのように言っていました。

でも,僕たちはアザラシの素晴らしさを知っていました。
「ラッコがなんだ!」アザラシの凄さ,素晴らしさを伝えられないことが悔しくてたまりませんでした。

エキノコックス症というキタキツネを終宿主とする寄生虫病が
大きな社会問題となっていた平成6年,
うちで飼育していたゴリラとワオキツネザルがエキノコックス症で死亡し,
閉園処置を取りました。

北海道のマスコットとして餌付けをして人間の生活圏に招き入れていたキタキツネ。
人間社会の態度は一変しました。
「キツネが毎日家の前をうろついている,どうにかしてくれ」
「キツネなんか全部駆除してしまえ」…。
野生動物と共存することは「かわいい」からとペット化することではないんだ。
相手を尊重して干渉しないこと,これが基本なんだと改めて痛感しました。

そのころ,ライオンやサルの赤ちゃんを
「かわいい」「受けるから」「喜ばれるから」と
来園者に触らせることを行っている動物園が多くあり
ペット種と同じ場所で野生種を展示していました。
これでいいのだろうか?引っかかっていました。

動物園界全体では入園者減少の流れは続いています。
もう,コアラやラッコ,オカピ級のスターがいないからです。
動物園側が動物の価値に差を付けて「見においで」ができなくなったからです。
見せる側が来園者の顔色をうかがいながら同じことを繰り返してきた結果だと思います。

伝える側の主張,意思はどこにあるのでしょう?

ライオンだって凄いんだ!
飼育の人間ならば誰もが肌で感じているはずです。
僕たちはここからスタートしました。

動物たちのありのままを「魅て」もらおう。
命として伝えよう,感じてもらおう。
動物たちの能力や行動,習性を引き出してあげよう。
生き生きとした彼らの姿に触れた時きっと感動があるはずだ。
命が飽きられるはずがないんだ!
その方法は決して都合のいいとこだけのつまみ食いではなく,
ペット化することでもない。
そうだペンギンにはプールではなく海をつくってあげよう!…

僕たちは動物たちの凄さに敬意を持って,
来園者に展示し魅てもらいたいと努力をしているつもりです。
動物園は「見せ物」ではないと信じています。

来園された方に動物の「何」を見てもらいたいのか。
何を感じてもらいたいのか。
それが動物園の展示なのではないでしょうか?